院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


ウォシュレット

 
 犯人が判明した。偶発的な出来事がきっかけとはいえ、未解決事件についに終止符が打たれたのだ。休日の朝、少し遅めに目覚めた私は、トイレに向かう。先客がいた。細君だ。でも心配はいらない。彼女は、事を済ませるのが速い。それは、寝入りの良さと共に、数少ない彼女の美徳のひとつである。数分後、彼女の退出を待って、挨拶もそこそこにトイレに滑り込む。出だしは上々だ。おもむろにロダンの彫刻のごとくポーズを決めると、いつものように取るに足らない由なし言をつらつらと考える。このひとときは貴重だ。昨日の出来事を思い出して、クスリと笑った。それがいけなかった。油断した。私は、あろうことか、ウォシュレットの『水勢』調整つまみを確認することなく、『おしり』ボタンを押してしまったのだ。いきなり最大パワーの水流ジェットが噴出した。しかもその時に限って、狙いはスイートスポット、ど真ん中。「うぷっ」水が消化管を逆流し、口から飛び出しそうになったので、強く唇を結んで耐えた。以前にも何度か、つまみが最大にセットされており、事前のチェックで事なきを得ていたのだが、今回はそれを怠ったのだ。私の厳しい通達にも関わらず、「最大値で放置」という大罪を繰り返していたのは、誰あろう細君だったのだ。
  私はウォシュレットの使い方にはこだわりがある。それは、二十数年にわたって培われた技術の賜といってもいい。まず、最弱からスタートし、括約筋の緊張をほぐすと共に位置決めを行う(導入)。そしてゆっくりとつまみを回し、70%までスムーズに加速(加速期)。そこで数秒間その勢いを保つと(保持期)、瞬間最大80%まで上げる。それと同時に、小さく円を描くようにおしりを動かした後(仕上げ)、潮が引くように水勢を絞り(離脱期)、しかし最後の1秒間で、30%程度の小さなピークを作って終了する(締め)。ウォシュレット使用にあたっては、この一連のスムーズな水勢調整が肝要だが、今回の事故は、水戸のご老公様もびっくりの最大水流パワーが、いきなり炸裂したことによる偶発的惨事であった。後で問い詰めたところによると、細君はつまみを最大にした後は、『おしり』ボタンのオン・オフだけで済ましているらしい。デリカシーも何もあったもんじゃない。黄門様に対して失礼である。「頭が高い、控えおろ〜」なのである。自白調書によると、細君も初めからそのような最大パワーを駆使していたのではないという。使っているうちに至適であると思われた水流の刺激では満足できなくなり、次第にパワーを上げていったと白状した。
 刺激にさらされつづけるとその刺激に馴れてしまい、徐々に特定の反応を示さなくなる。その現象を、心理学用語で「刺激馴化」あるいは単に「馴化」という。生物は生命の存続が脅かされる様な刺激に対して、当初は鋭敏な反応(多くは逃避反応)を示すが、それが繰り返され、無害であると認識すると、それに反応しなくなり、無視するようになる。これは極めて原始的な生体反応で、原生生物にもみられるという。馴化によって、安全である刺激に対しては過敏な反応を示すことがなくなり、生命活動がより円滑になるのだ。人間にも当然、この馴化が本能として組み込まれている。人見知りのシャイな人が、経験を積むことにより対人恐怖症が消え、立派に接客業をこなせるようになるのは、そのいい例である。しかしその馴化はよい面ばかりではない。「何度同じ事を言わせるんだ」と怒鳴っても、効果があるのは最初だけで、結局は馬耳東風になってしまう。それは生命誕生以来三十数億年に及ぶ進化がもたらした自然の摂理なのである。また、馴化により刺激に対する緊張感が消失すると、マンネリ化に陥り、単純なミスを犯したりする。医療事故の多くは、この馴化に起因していると言ってもいい。人間は、馴化に救われ、あるいは蝕まれながら、生きているのである。脳科学的に言うと、馴化は新しい刺激で活性化される脳の淡蒼球が、持続的に働かなくなることが原因らしい。しかし人間には、その馴化をリセットする智慧が備わっている。そのひとつが、いつもと変わった行動をとるということだ。それにより、パターン化され海馬にまで届かなくなった刺激が再び海馬を興奮させ淡蒼球を賦活化する。以前の緊張感を取り戻し、マンネリを脱して、やる気を起こさせ、活力を生むことになる。その「いつもと変わった行動」が細君の場合、安易で短絡的な「水流パワーを上げる」という事だったのに対して、私はより洗練された「水勢のスムーズなコントロール」だったということである。

 「だめじゃないか! 使い終わったら、『水勢』のつまみを、元に戻さなきゃ!」ドアを少し開けて、大声を出す。「えー、ああそう?」間延びした返事が聞こえてくる。「まったく〜。」と言いつつも、先ほどのパワー全開の刺激を思い出し、不覚にも恍惚となる。完成形に限りなく近づいた、私のウォシュレットテクニック。しかし近年、なにか物足りないものを感じていたのだ。忍び寄る不安。それを振り払らおうと、大きくかぶりを振る。不本意ながら私は、細君の様に水流パワーを100%にまで上げるかも知れない、しかしそれは、馴化に対するnormal reactionであり、abnormalな世界への扉を開く行為ではない。「決してそうではない」と自らに言い聞かせながら。



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